テープ・エコー
録音が遅れて返る装置
1989年3月、英国のMusic Technology誌で、ゴードン・リード(Gordon Reid)はローランドのRE3 Digital Space Echoを評した。書き出しで彼は、紙の上で見る限り、ローランドは会社の頭を検査してもらったほうがいいと書く。遅れの時間は最長300ミリ秒、残響のつまみは一つだけで、同社の別のデジタル機にも機能で負ける。それでも、かつて業界標準だったテープ式のSpace Echoを、欠点も込みでデジタルに作り直した機械だった。1 それから33年後の2022年、ローランドはBOSSブランドのRE-202とRE-2を発表する。報道資料によれば、新しい二機種では、元のRE-201の揺れをWOW&FLUTTERというつまみで調節でき、RE-202では磁気テープの状態をNEWとAGEDから選べる。2 機械の不正確さから生じた揺れと、交換の手間だったテープの傷みが、半世紀後には設定の項目になっている。録った音をテープで遅らせて返す装置は、どう作られ、どう使われてきたのか。二台のテープ・レコーダーから始め、ロンドンの楽器店、オハイオの修理工、1974年のローランド、キングストンのスタジオへとたどる。
二台のレコーダーと、3センチの隙間
ローランド・オーストラリアのサイトに2020年に載った解説によれば、最初のテープ・エコーは、スタジオのオープンリール・デッキを二台並べ、一台で録り、もう一台でテープの輪を再生する仕掛けだった。そこから一台のデッキを少し改造するやり方が生まれる。消去、録音、再生の三つのヘッドが順に並び、録音ヘッドで磁気の形に写された音が、テープに運ばれて再生ヘッドに届くまでの数ミリ秒だけ遅れる。これを元の音と混ぜればエコーになる。同じ記事は、録音で知られる最も早い例をレス・ポール(Les Paul)の1951年の「How High the Moon」とし、広めたのはサン・スタジオのエンジニア、サム・フィリップス(Sam Phillips)だとされていると書く。3 メーカーのサイトの一般向けの説明である。
遅れの長さは計算できる。1984年2月、英国のHome & Studio Recording誌でポール・ギルビー(Paul Gilby)は、家庭のスタジオでオープンリール・デッキをエコーに使う手順を解説した。遅れを決めるのはテープの速さとヘッドの間隔の二つで、ヘッドの間隔は機種によるが3センチほど。これを速さで割ると、毎秒38センチなら78ミリ秒、19センチなら157ミリ秒、9.5センチなら315ミリ秒、4.76センチなら630ミリ秒になる。遅くすれば音質は落ちる。ミキサーのエコー送りでデッキへ音を送り、戻りを空いたチャンネルで受け、その戻りをもう一度デッキへ送れば、反復は何度も続く。上げ過ぎれば発振が止まらなくなるとギルビーは警告している。二台のデッキを数フィート離してテープを渡せば、数秒の遅れも作れる。彼は、ブライアン・イーノ(Brian Eno)が『Discreet Music』をこれに似た仕組みで録ったと添えている。4 送り、戻し、送り直す手順そのものはダブのガイドに表で示してある。
スタジオのデッキには、反復が一回きりになる弱点もあった。米国のVintage Guitar誌に1998年に連載したジョン・ティーグル(John Teagle)によれば、レス・ポールやチェット・アトキンス(Chet Atkins)は再生ヘッドを増やして反復を作り、レイ・バッツ(Ray Butts)は自作のアンプ、EchoSonicの内部に電気的な送り返しの回路を組んだ。5 同じ連載は、EchoSonicの注文生産の台数を約68台とし、1960年より前の米国で市販されたエコー装置はこれだけだったと書く。50年代のギタリストの大半はエコーも残響も持っておらず、エコーを使う米国の奏者はおそらく百人に満たなかった、というのが彼の見積もりである。6
1958年か、1960年か — ロンドンの店先
英国では、ロンドンのバラムで楽器店を営むチャーリー・ワトキンス(Charlie Watkins)が、この装置を一つの箱に詰めた。アコーディオン弾きから店主になった人物で、店は地元の奏者のたまり場だった。発想の出どころは、資料によって二通りある。MusicTech誌が2014年に載せたジョン・ピックフォード(John Pickford)の記事では、スタジオで何台ものテープ・レコーダーをつないで反復を作るのを聞いたのがきっかけだった。7 Guitar Player誌のデイヴ・ハンター(Dave Hunter)が2022年に書いた記事では、イタリア帰りの客が店に来て、歌手マリーノ・マリーニ(Marino Marini)がマイクを二台のデッキに通し、テープの輪で歌にエコーを掛けていたと話したのが始まりになっている。ワトキンスは技術者ビル・パーキス(Bill Purkis)の助けを借り、蓄音機のモーターでテープを回し、三つの再生ヘッドを切り替えられる箱にまとめた。8
売り出しの日のことは、ワトキンス本人の回想が残る。試作機を一台店に置いて反応を見ながら100台を作り、Copicatと名付けた。土曜日に店を開けると客が押し寄せ、最初の一台はジョニー・キッド(Johnny Kidd)に売れ、100台はその日のうちになくなったという。8 ピックフォードの記事は、年代に異論があることを隠さない。ワトキンスは1958年と言い張るが、1960年初めとみる専門家もいる。音楽紙Melody Makerに最初の広告が出たのは1960年9月で、シャドウズ(The Shadows)の「Apache」が5週続いた首位を降りる頃だった。7
その「Apache」について、ピックフォードは、1960年の夏にコーヒー・バーのジュークボックスから流れた異国風の音を、フェンダーのストラトキャスター、VoxのAC30、そしてCopicatの三つが作ったと書く。7 ところがティーグルは、ヨーロッパの若い奏者に影響したハンク・マーヴィン(Hank Marvin)の旋律を、イタリア製Meazziのエコーが支えたものとして描いている。6 二つの記事は、同じギタリストの音に別の箱を当てている。
Copicatの箱の中は単純だった。モーターで回るテープの輪が三つのヘッドを通り、三つの押しボタンで反復の間隔を選ぶ。一つ目は短いスラップバック、ほかはもっと長い間隔で、組み合わせることもできた。Sustainのつまみが反復の回数、Echo(後の型ではSwell)が反復の音量を決めた。初期は真空管だったが、1965年からトランジスタに変わり、MK IVと呼ばれる型は数十万台作られたとピックフォードは書く。7
オハイオの修理工と、滑るヘッド
大西洋の向こうでは、オハイオ州アクロンでEchoplexが生まれていた。考案者の一人マイク・バトル(Mike Battle)は、炭鉱夫の息子で、8歳で鉱石ラジオを組み、戦時中は軍で無線操縦の標的機を飛ばした電子技術者だった。ループ奏者のウェブ・マガジンLooper's Delightの取材で、彼は発端をこう話している。友人が、再生ヘッドを一つ足したテープ・レコーダーに演奏を通していた。ヘッドの間隔を変えられず、「You could not change the gap between the heads so it was No Good!(ヘッドの隙間を変えられないから駄目だった)」。その間隔を変えたいという望みから、滑るヘッドが生まれたという。9
バトルはこの取材で、最初の500台を1959年にシカゴの卸CMIへ売ったと話す。9 一方ティーグルの連載は、ドン・ディクソン(Don Dixon)が1957〜58年頃にテープ・レコーダーを改造した試作を重ねていたこと、59年には注文製作の機械が売られていたが、CMIが関わるのは62年だったことを記す。製品版の最初期の一台は1963年頃、アクロンで活動していたギタリスト、ヴィック・クレイ(Vic Clay)へ、彼が持っていた金属箱の試作機と引き換えに渡った。56 CMIとの取引の年は、本人の回想と連載とで合わない。
ティーグルによれば、Echoplexの工夫は、録音ヘッドを滑らせて遅れを変える仕組みと、約2分のテープを収めた「終わりのない輪」のカートリッジにあった。特許の中心もこのカートリッジだったという。消去と録音を止めて録ったフレーズを繰り返し再生するスイッチもあり、カセットの無い時代、奏者はこれで自分の演奏に合わせてハーモニーを練習した。60年代半ばから後半のEP-2では、元の音とエコーの比率を一つのつまみにまとめ、片手で操りやすくした。1970年頃には、消去を止めて録音を重ねるサウンド・オン・サウンドのスイッチが付いた。6
70年代に入るとトランジスタ化の波が来る。バトル本人の説明では、勤めていたMarket Electronicsにトランジスタの型を作れと言われてEP-3を設計したが、その方向が気に入らず会社を離れた。奏者たちは真空管の音のほうが暖かいと言う、というのが理由だった。9 その後のEP-4には雑音を切る回路や圧縮の回路が加えられた。ティーグルによれば、ディクソンが試験しないまま量産されたこの型では、圧縮が元の音にまで掛かって奏者の反発を招き、回収されたという。6
イタリアには、テープを使わないエコーもあった。ミラノのBinsonが作ったEchorecは、回転する金属の円筒に巻いたステンレスの細線に録音し、周りに並べた一つの録音ヘッドと四つの再生ヘッドで反復を作った。エフェクト・メーカーStrymonの2019年の解説によれば、テープにつきものの回転むらを避けようとした設計で、ピンク・フロイド(Pink Floyd)の使用で知られる。10 本特集が扱う「テープ」の外側にある、磁気で遅らせる親戚である。
1974年、RE-201の長い輪
ローランドは1972年に創業し、翌1973年にRE-100とRE-200で最初のSpace Echoを出した。1974年のRE-201について、同社英国法人の記事は、テープ・エコーを発明したのではなく、壊れやすく当てにならない技術を頑丈で持ち運べるものに変えた、と書いている。11
違いはテープの走らせ方にあった。それまでの機種は短いテープの輪を張ったまま回していたが、RE-201の長い輪は、透明な蓋の付いた箱の中に緩く垂れ込み、張力が低いまま走る。12摩耗が減り、テープを長くでき、3秒を超える反復も作れた。録音ヘッド一つに再生ヘッドが三つあり、モーターの速さを変えるRepeat Rateのつまみと、12段のモード切替で間隔と組み合わせを選ぶ。複数を選べば、反復が重なるリズムになる。反復の回数を決めるIntensity、反復と残響それぞれの音量、反復だけに効く低音と高音の調整、ばねを使う残響が一つの箱に入っていた。11 英国の録音誌Sound On Soundの元編集長ポール・ホワイト(Paul White)はBOSSのサイトの記事で、バイパスのスイッチを踏むとテープが止まり、寿命がさらに延びたことを挙げている。12 音が鳴っている最中にRepeat RateやIntensityを回すと、反復は発振し、音程が上下する。英国法人の記事は、宇宙から来たような効果音をこうして引き出す使い方にも触れている。11
系譜は、残響を省いたRE-101、コーラスとサウンド・オン・サウンドを加えた1977年のRE-301、バランス入出力を持つ1980年のRE-501と、ラック型のSRE-555へ続く。1112 1983年11月、英国のOne Two Testing誌でポール・コルバート(Paul Colbert)はこのラック型を評した。奏者は最新のデジタルを求めながら、古くて傷んだ機械の音を守ろうとする、と彼は皮肉まじりに書き出す。カジャグーグー(Kajagoogoo)のスチュアート・ニール(Stuart Neale)は、Jupiter-8もPPGもヤマハのピアノも、すべてこの機械に通していた。コルバートの説明では、テープは歪みも雑音も揺れも加えるのに、IC式より暖かく広く聞こえる。反復の間隔は0.55秒から1.8秒。テープは摩耗し、伸び、交換が要る。13 同じ年の5月、Electronics & Music Maker誌は、モーター、ばね、張ったテープに伴う機械の故障を避けるため、60〜70年代にはテープを使わない回路が求められ、コンデンサーの列で信号を順送りして遅らせるBBDの半導体がその答えに見えた、と解説している。14
RE-201が作られなくなった年は、資料で揃わない。1989年のリードは1985年に段階的に姿を消したと書き、1 ホワイトの年表は1988年、12 ローランド・オーストラリアの二つの記事は1990年とする。311 ここではどれとも決めない。
反復を送り返す手
ジャマイカでは、この仕組みが版の作り直しの中心になった。カーク・デジョルジオ(Kirk Degiorgio)は、2018年のRed Bull Music Academyの記事で、ダブの起点を1972年に置く。プロデューサーのバイロン・リー(Byron Lee)が自分のスタジオDynamic Soundsを16トラックの設備へ更新したとき、キング・タビー(King Tubby)が古いMCIの卓を手に入れた。反復を送り返す遅れは、もう一台のテープ・マシンで作った。RE-201やEchoplexのような専用機が広まるのはそれより後だという。15
リー・スクラッチ・ペリー(Lee "Scratch" Perry)のブラック・アーク・スタジオについて、記者デイヴィッド・カッツ(David Katz)は2017年のThe Wire誌で、ブラック・アークで録った『Super Ape』の頃の音をMu-tronのフェイザーとRoland Space Echoが特徴づけたと書いている。16 2015年のSound On Soundでは、ロンドンのエンジニア、ダニエル・ボイル(Daniel Boyle)が、写真や映像からブラック・アークの機材を割り出して集め、ペリーと『Back On The Controls』を作った経緯を語っている。ボイルは「I ran my [RE201] Space Echo into the ground(RE201のSpace Echoを壊れるまで使い倒した)」と言い、アルバムの途中でRE501のChorus Echoに替えた。彼が何週間もかけて突き止めたというペリーの歪んだギターの刻みは、古いばね式残響機で歪ませ、フェイザーを通し、さらに反復を切ったSpace Echoを通して卓へ戻すものだった。ボイルの見立てどおりなら、ペリーはエコーの装置を、反復のためでなく、テープと回路を通る音色のために使っていたことになる。78歳のペリーのためにボイルは、フェイザーを小さな台に載せ、その後ろにSpace Echoを置いて、いくつかの送りをそこへ回した。ペリーは曲を流しながら、フェイザーのボタンを叩き続けた。17
ペリー本人は2020年3月号のTape Op誌で、ジェフ・スタンフィールド(Geoff Stanfield)に、なぜエコーを使ったのかと問われて「You can repeat yourself in echo.(エコーの中では自分を繰り返せる)」と答えた。一語を三度言いたければ三回の反復に入れる、と続け、あとは詩のような言葉遊びへ移っていく。18 同じ号で、十代でタビーのスタジオに出入りし始めたサイエンティスト(Scientist)は、リバーブ、テープ・エコー、フェイズ・シフターがあったから音楽に入り込んだのかと問われ、フェイザーは使っていない、高域だけを通すフィルターだと訂正している。多くの人がフェイザーだと思い込んでいた、とも言う。19 聞こえる揺れを特定の箱に結び付ける前に、この訂正は覚えておきたい。ライブラリの「Boom (Wah da da Deng) Dub」は、サイエンティストとヘンプレス・サティヴァ(Hempress Sativa)の名を冠した盤の曲だが、盤の紹介文によれば、この曲だけはパオロ・バルディーニ(Paolo Baldini)の別ミックスである。20
On-U Soundを率いるエイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood)は、同じ号で最初の卓の経験を話している。19歳ぐらいの頃、ロンドンの100 Clubで、ジャマイカのDJプリンス・ファー・アイ(Prince Far I)を立てたにわか仕立てのバンドの公演があった。雇ったPAの男に、ハイハットを上げろ、ベースを上げろと身を乗り出して言っていたら、自分でやれと卓を任された。そこにはばね式の残響と、Space Echoか何かがあった。スネアと声にほんの少し効果を掛けると、終演後に素晴らしい音だったと言われた。何をしているのか分かっていなかった、と彼は振り返る。21
ライブラリの作り手が挙げた機械
作り手本人がテープ・エコーの使用を述べた言葉のうち、ライブラリの曲を含む盤についてのものは一つある。プリンス・ファティ(Prince Fatty)は『Hollie Cook In Dub』の紹介文で、ダブ版には本物のテープ・エコーと深いばね式残響を使い、すべて自分のスタジオでライブ・ミックスしたと語る。22 盤全体についての言葉で、機種の名は無い。「Sugarwater Dub」と「Milk & Honey Dub」はこの盤の曲である。方針の読み方は「Sugar Water Dub」のエッセイに、コンピューターの自動化を使わなかったという点は完成の手前で音を変える特集にある。2024年4月時点のスタジオのページには、機材としてDynacord S62の真空管テープ・エコーが載っているが、23 これが盤に使われたかは書かれていない。
ほかの作り手の言葉は、どれも曲とは結べない。ジェイミー・エックスエックス(Jamie xx)は2017年、ローランドの取材に、音楽を始めた頃はテープ・デッキからテープ・デッキへ重ね録りしていたと話し、Space Echoは自分の定番で、最初に買ったアナログ機材だと答えた。24 曲の名は挙がっていない。彼の仕事は「Sunset (Jamie xx Edit)」と「All You Children」のエッセイにある。フレンチ79(French 79)は15 Questionsの取材で、新曲「Life is Like」の声にSpace Echoで効果を掛けたと具体的に述べている。25 ライブラリにある「Burning Legend」とは別の曲である。クアンティック(Quantic)ことウィル・ホランド(Will Holland)は2007年のSound On Soundで、ブライトンのスタジオにあるRE101を見せ、ざらついた音の曲では、Space EchoとPyeの古いマイク・ミキサーにミックスを通すと話した。写真説明は、Quantic Soul Orchestraの録音でその音が聞けると書く。26 ライブラリの「Get In The Ride」は2023年の曲で、この話より16年後になる。Voilaaaのブルーノ・“パッチワークス”・オヴァール(Bruno "Patchworks" Hovart)は、2022年のレーベルの取材の写真説明で、安くてもよく効くドイツ製のテープ・エコーがローズとギターの録音に磁気の粒立ちを加えると書いている。27 機種も曲も示されていない。ライブラリには彼のVoilaaa名義のリミックスが何曲も入っている。
摘みになった揺れ
2007年のRE-20は、RE-201の操作と音を、テープの飽和、前段の回路の色、回転むらまで含めてデジタルで写した。ホワイトは、デジタルの遅延が当たり前になって初めて、奏者はテープの色付けが長所だったと気付いたと書く。2022年のRE-202には、スイッチを押している間だけ反復を無限に続けるWarpがあり、ホワイトはダブの奏者が喜ぶだろうと添えている。12 1983年のコルバートが交換の手間として挙げたテープの摩耗は、13 2022年の報道資料ではNEWとAGEDの選択肢になった。2
テープを捨てなかった人もいる。1998年、ティーグルが取材したバトルは、真空管の新しいエコー、Tubeplexを手作りの試作の段階で抱えていた。滑るヘッドと一つの比率つまみは昔のまま、テープの長さは初代の約2分から約4分に延びていた。6 Looper's Delightの取材でも、彼はより良いテープ・カートリッジを作っていると話している。9 同じ隙間を動かせるようにしたいという友人の望みから始まった仕事を、彼はテープのまま続けていた。
出典・注
[1] Gordon Reid, Roland RE3, Music Technology、1989年3月(muzines.co.ukの再録)。RE3の発売時の評。Space Echoの系譜とRE201が1985年に段階的に姿を消したという記述。
[2] ローランド株式会社, 温かく、個性的な「スペース・エコー」のサウンドを再現したエフェクター2機種を発売, @Press、2022年3月24日。メーカーの報道資料。RE-201の1974年発売、3つの再生ヘッド、フリーランニング式、RE-202/RE-2のWOW&FLUTTERとNEW/AGED。
[3] Matt Walsham, Demystifying the Magic of Tape Echo, Roland Australia、2020年7月3日。メーカー系サイトの一般向け解説。二台のデッキ、三つのヘッド、Repeat Rate・Intensity・Echo Volume、1990年の生産終了。同記事にはRE-201を「1982年」に開発したとする行があるが、同社の他の資料(1974年)と食い違うため使っていない。
[4] Paul Gilby, Tape Echo Effects, Home & Studio Recording、1984年2月(muzines.co.ukの再録)。遅れの計算式と数値、送り返しの手順、二台のデッキによる長い遅れとイーノの例(記者の記述)。
[5] John Teagle, The Roots of Echo, Vintage Guitar、1998年8月号の再録。連載第2回。再生ヘッドを増やす方法、EchoSonicの送り返し回路、ディクソンの1957〜58年頃の試作、Echoplexの注文製作が59年までに売られCMIの関与が62年だったこと。
[6] John Teagle, Echoplex, Vintage Guitar、1998年10月号の再録。連載第4回。EchoSonicの約68台と50年代の普及の見積もり、Meazziとハンク・マーヴィン、EP-1〜EP-4の変遷と回収、Tubeplexの試作(ディクソン、バトル、クレイへの取材を含む)。
[7] John Pickford, Vintage: Watkins Copicat, MusicTech、2014年5月28日。発想の経緯(スタジオで聞いた説)、1958年と1960年の異論、Melody Makerの広告、「Apache」の三要素、仕組み、トランジスタ化とMK IV。
[8] Dave Hunter, Here's How the Watkins Copicat Tape Delay Helped Define the Sound of an Era, Guitar Player、2022年2月24日。ワトキンスの経歴、マリーニの話(客から聞いた説)、パーキス、売り出しの日の本人の回想(The Guitar Magazineの2000年の取材などからの引用)。
[9] Interview with Mike Battle, Looper's Delight。掲載日の記載なし(Tubeplexに触れるので1990年代後半以降)。本人の経歴、発端、1959年のCMIへの500台、EP-3と退社、カートリッジの改良。直接引用はここから。
[10] Matt Piper, What is a Drum Echo?, Strymon、2019年3月13日。メーカーの解説。Echorecの仕組みと設計の狙い。
[11] Jim Bybee(Roland UK Team寄稿), The Roland RE-201 Space Echo Story, Roland Australia、2016年3月17日。メーカーの回顧。RE-100/200からRE-201、テープの走らせ方、操作部、発振、後継機、1990年の生産終了。
[12] Paul White, History of the Space Echo, BOSS Articles、2022年以降(RE-202発売に触れる)。メーカーのサイトに載った回顧と年表。バイパス時のテープ停止、RE-201の生産終了を1988年とする年表、RE-20とRE-202、Warp。
[13] Paul Colbert, Roland Chorus Echo 555, One Two Testing、1983年11月(muzines.co.ukの再録)。発売期の評。奏者の態度、スチュアート・ニールの使用、テープの音の評価、反復の間隔、テープの交換。
[14] Enter The Time Domain, Electronics & Music Maker、1983年5月(muzines.co.ukの再録、筆者名の表示なし)。テープ・エコーの機械的な弱点とBBDの説明。
[15] Kirk Degiorgio, The Roots of Dub, Red Bull Music Academy Daily、2018年8月24日。1972年のMCI卓、テープ・マシンによる遅れ、専用機が後に広まったこと。後年の歴史記述。
[16] David Katz, Super Ape Returns To Conquer, The Wire、2017年10月。『Super Ape』の頃の音を特徴づけた機材についての記者の記述。
[17] Tom Doyle, Lee 'Scratch' Perry & Daniel Boyle: Recording Back On The Controls, Sound On Sound、2015年5月。ボイルの機材の再構成、RE201の故障とRE501、ギターの信号経路、ペリーの操作の場面(ボイル談)。直接引用はここから。
[18] Geoff Stanfield, Lee "Scratch" Perry: Super Ape Upsets the Studio, Tape Op #136、2020年3月。エコーについての本人の答え。直接引用はここから。
[19] Geoff Stanfield, Hopeton Overton Brown is "The Scientist", Tape Op #136、2020年3月。フェイザーではなくハイパス・フィルターだという本人の訂正。
[20] Scientist Meets Hempress Sativa In DUB, Hempress Sativa公式Bandcamp。紹介文(盤はThe Scientistのミックス、「Wah Dada Deng Boom」だけPaolo Baldini of Dubfilesの別ミックス)と曲目。
[21] Larry Crane, Adrian Sherwood: Pay It All Back, Tape Op #136、2020年3月。100 Clubでの最初の卓の経験(本人談、公開部分)。
[22] Hollie Cook In Dub, Hollie Cook公式Bandcamp。紹介文中のプリンス・ファティの言葉(盤全体について)。曲目。
[23] Studio, Prince Fatty公式サイト。2024年4月時点の機材一覧。盤の制作機材を示すものではない。
[24] Roland UK, 10 minutes with Jamie xx, Roland Australia、2017年1月10日。本人談。テープ・デッキでの重ね録り、Space Echoについての発言。曲との結び付きはない。
[25] 15 questions: French 79, 15 Questions。掲載日の記載なし(「Burning Legend」を近作として紹介)。「Life is Like」の機材についての本人談。
[26] Chris Mayes-Wright, Quantic: Will Holland — Vintage Techniques For New Dance Music, Sound On Sound、2007年1月。RE101とミックスの通し方(本人談)と写真説明。
[27] Voilaaa • "We're part of an active creolisation!", Favorite Recordings、2022年5月。スタジオ写真の説明文(本人の言葉として掲載)。