恋の歌のふりをした、と書かれた曲の中身
2023年3月18日、ベルギーのRTBFのサイトに、同局のラジオJam.のアリーヌ・グロド(Aline Glaudot)によるフラヴィアン・ベルジェ(Flavien Berger)への取材記事が載った。アルバム『Dans cent ans』の発売に合わせた記事で、取材の日付は書かれていない。聞き手は「D'ici là」について、詞をよく読むと恋の話より死のことを透かして語っているのではないか、と尋ねた。ベルジェの答えはこう始まる。「Carrément, je la tutoie la mort dans cette chanson, c'est une chanson à sous-texte.」(まさに。この曲では死に親しい二人称で話しかけている。裏に別の意味を持たせた曲なんだ)1
先に出ていた単曲
この曲はアルバムより先に単曲として出ている。Appleの掲載では『D'ici là - Single』の日付が2022年11月16日、長さは3分30秒(210,440ミリ秒)2。同じ11月、音楽ブログStereofoxの投稿(Krisi)は、この曲が口笛とともに現れ、ラブソングのふりをしている、と短く書いた3。ふりの裏に何があるのかまでは書いていない。
4か月後の2023年3月17日、Pan European Recordingから出た12曲入りの『Dans cent ans』で、この曲は2曲目に置かれた。長さは単曲と同じ3分30秒と表示されている4。ベルジェの別の曲については、8ビットの音が一曲にだけ残った「Bleu sous-marin」、長い曲と並ぶEPの表題曲「Mars balnéaire」、本人が曲の構造について語った「microsono」のエッセイがある。
本人の説明
取材でベルジェは、こういう書き方をしたのはある意味で初めてだと言う。ある事を言いながら別の事を考える、少し知識人ぶったやり方だ、と。この曲は死と一緒に生きるひとつのやり方で、死が自分たちの一部であり、少しずつそこへ近づいていると受け入れることだ、と説明する。恋の物語の語彙を使ってはいるが、恋そのものより二人組、一組ということなのだ、とも言い直している。死は決まった形のものではなく、いつでもどこにでも可能性としてある。いつ現れてもおかしくないことをどう受け入れるか。音楽を続けることがそれを大いに助けていて、精神分析に少し似ている、と話す1。
ふりの裏側
単曲が出た月、ブログは「ふり」とだけ書き、その裏には触れなかった3。4か月後、聞き手が死のことではないかと向けると、本人はそれを認めた。そのうえで、恋の語彙を使いながら、恋そのものより「二人」のことだと言い直している1。ここからは書き手の読みだが、その二人の片方に死が座っているのだろう。本人が死に親しい二人称で話しかけていると言う以上、恋人同士の言葉づかいは死を遠くの抽象にせず、話しかけられる距離に置くための選択だった、と読める。恋の歌として受け取られたことも、その選択の結果に見える。
出典・注
[1] Aline Glaudot, Flavien Berger revient avec "Dans cent ans", une exploration de l'occulte, entre futur, rêve et science-fiction, RTBF(Jam.)、2023年3月18日掲載(19日更新)。聞き手の問いはL136、ベルジェの答えはL137(直接引用は答えの最初の一文)。前書きL114–116は発売に合わせた記事であることのみ使用。L199(ニュースレター案内の「Jam., la radio」)でJam.がラジオであることを確認。取材日は記載なし。
[2] iTunes Lookup: D'ici là, Apple(米国)。単曲題、日付欄2022-11-16、長さ210,440ミリ秒。
[3] Krisi, Flavien Berger - D'ici là, Stereofox、2022年11月。投稿型の音楽ブログの評。L50の一文(口笛、ラブソングのふり)のみ使用し、事実の根拠にはしていない。
[4] DANS CENT ANS, Flavien Berger(Bandcamp、本人頁)。レーベル表示、曲順と長さ(2. D'ici là 03:30)、発売日 March 17, 2023。