Ewan Pearson
出典に表示された活動名義。人物との同一性は未確認。
棚に出る曲
- Pages - Ewan Pearson Remix ▶
- The Golden Path - Ewan Pearson Extended Vocal ▶
- Manila - Ewan Pearson Mix ▶
点の履歴
対象ID: artist-ewan-pearson wave: d045-ewan-pearson collector: claude-sonnet-5/medium 2026-09-27
年表(出典付き。断定は claim のあるものだけ)
- キダーミンスター出身。1996年からレコード制作。Birminghamのインディー・レーベルBostingにVilla America名義(「Motorcade」)、Dirtbox名義(「The Reason」)で各1作。(c001 / Somaバイオ)
- 1996年〜 Soma RecordingsからMaas名義でデビュー(EP、のちアルバム『Latitude』)。(c002, c011 / Somaバイオ)
- 修士取得のためロンドンへ(哲学・文化研究)。1997年に博士課程へ進むも未完、East London大学でポピュラー音楽の非常勤講師を一学期。ジェレミー・ギルバートとの共著『Discographies』(Routledge、1999年7月)。(c004 / Somaバイオ)
- Ideal傘下Giant 45でWorld of Apples名義のダウンビート作(『Chroma EP』等)。(c003 / Somaバイオ)
- 1999〜2001年 Jeb Loy Nicholsのアルバムを共作。2001年秋、ロンドンのFallout Shelterで『Easy Now』をミックス(2002年5月発売)。(c007, c008 / Somaバイオ)
- 2001年2月 Soma『Small Change』(Maas/World of Apples名義のリミックス集)発表。本人はこれを「自分の名前を冠した最初のまとめ」と2010年に振り返る。(c005 / Somaバイオ、DMYインタビュー)
- 2002年 Al Usherとの二人組Partial Artsがシングル「Canopy」でデビュー(Out of the Loop)。同年、Seelenluft「Manila」(Klein)をリミックス——棚曲2(Manila - Ewan Pearson Mix)と一致。(c013, c025 / Somaバイオ)
- 2003年 ケミカル・ブラザーズ/フレーミング・リップスの「The Golden Path」(Virgin)をリミックス——棚曲3(The Golden Path - Ewan Pearson Extended Vocal)と一致。(c026, c027 / Somaバイオ)
- ベルリンへ移住(暦年は資料からの推定にとどまる。Somaバイオは執筆時点で「現在ベルリン在住」、Skrufffインタビューは「3年前」、2010年のDMYインタビューは「6年前=2004年頃」と語る)。仕事のためではなく「生活を変えたかった」ためと2012年に本人が説明。(c009, c010 / Somaバイオ、Skrufffインタビュー、DMYインタビュー、Miamiインタビュー)
- ベルリンで プロデューサー/DJのSasse、DJ Naughtyとスタジオスペースを共有(Skrufff記事の紹介文)。Watergateクラブにレギュラー出演(Somaバイオ)。(c011, c012 / Skrufffインタビュー、Somaバイオ)
- 2006〜2007年頃(推定) ラプチャーの8曲、トレイシー・ソーンの新作アルバムの半分をプロデュース(Skrufffインタビュー)。ニューヨークでのラプチャー録音中はポテトチップスとコーラで生活していたと2010年に振り返る。(c015, c016 / Skrufff、DMY)
- 2010年2月15日 Kompaktからミックス CD『We Are Proud Of Our Choices』。タイトルはG. A. コーエンの著作にある社会主義青年賛歌の一節から。同時期、デルフィックの新作アルバムをプロデュース。(c019, c018 / DMYインタビュー)
- 2012年8月時点 トレイシー・ソーンの新作(同年10月発売)をプロデュース。Jagwar Maのデビュー・シングル「Come Save Me」(前年)を手伝い、デビューアルバムに着手。VisionquestのFootprintzデビューアルバムを追加プロダクション・ミックス。M83・ラプチャー・トレイシーは「一緒に組む前から好きだった」レコードだったと語る。自身のレーベルMachinists(アナログ電子音楽寄り、第一弾Markus Enochson)を新設、既存レーベルMisericordと対比。近くスイスの名義Kaltehandのリミックスも——棚曲1(Pages - Ewan Pearson Remix、Shazam掲載)の名義と一致。(c015, c020〜c024, c028 / Miamiインタビュー)
棚との重なり
entity.json の棚は3曲・すべて remixed_by(2016-12-07、2024-07-31×2)。うち2曲は今回の一次資料で直接裏づけられた——Somaの公式バイオが2002年のSeelenluft「Manila」リミックスと2003年のケミカル・ブラザーズ/フレーミング・リップス「The Golden Path」リミックスを名指しで記しており、entity.jsonの既存claim(Beatport表記に基づくcontextual/supported)を、レーベル側の資料からも独立に補強する。3曲目「Pages(Kaltehand)」は、2012年のMiamiインタビューで本人が「近日Kaltehand向けのリミックス」と語っており、時期的に符合する(棚のliked_added_dateは2016-12-07で、2012年の言及より後——保存が制作より遅れて追いついた形)。棚の3曲はいずれも2002〜2012年に手がけたリミックス仕事の集合であり、本ドシエで追った経歴(Soma在籍期からベルリン移住後の多忙な制作期まで)とちょうど重なる。棚自体には制作の場や年代を語る記述は無く、曲の並びだけからは「いつ・どこで」は読み取れない——それを埋めるのが本ドシエの役目である。
まだ分からないこと
- 本名の綴り・正確な生年月日(Skrufffインタビューは「34歳」と語るが、インタビュー自体の発行年が本文に無く逆算不能。RA伝記は403で読めず、Wikipediaは手がかりのみ規則で未確認のまま)。
- ベルリン移住の確定した暦年(3資料とも相対年数のみで、2003〜2004年頃という推定にとどまる)。
- 自身のレーベルMisericordの発足時期・カタログ(2012年インタビューで名前のみ言及)。
- Sasse・DJ Naughtyとのスタジオ共有の具体的な場所名・期間(Skrufff記事の地の文のみで詳細なし)。
読めなかった対象
https://ra.co/dj/ewanpearson/biography(RA公式バイオ): 403、bot検知によりブロック。手がかりのみの資料として扱う規則どおり、迂回していない。https://en.wikipedia.org/wiki/Ewan_Pearson: 規則により手がかりのみとし、本文をpage_text.pyで読んでいない(本raw探索では未取得)。
本人・レーベルの言葉
- 本人の言葉Ewan Pearson — 自分は「悪い純粋主義者」で、一つのジャンルを掘り続ける人を尊敬しつつも自分は好奇心が勝ってしまうと語る。ミックスCDでは時代やスタイルをまたいで語りが動く方を好む。“My brain is a bit more magpie”
- シーンEwan Pearson — ベルリンに移ったのは音楽のためではなく、実際に好きだったドイツのダンスミュージックはケルンやフランクフルト系だったと語る。それでも電子音楽好きでドイツに無関心ではいられないと言う。“It's Germany and Northern America”
- 本人の言葉Ewan Pearson — 創作の魔法的な感覚には懐疑的で、「セレンディピティ」という言葉の方を好むと語る。ひらめきを待つのではなく、働き続けてある瞬間にすべてがかちっとはまると説明する。“Serendipity is the word that I like”
- 本人の言葉Ewan Pearson — 大事なのは自分が誇れる仕事だけをすることだと言い切る。嫌いなレコードを作る・かけるくらいなら郵便配達員になる方がましだと語る。“I'd rather be a postman”
- レビューSean Levisman / Miami New Times — 本人以外の視点:記者は彼を「エレクトロニック・ダンス・ミュージックのブライアン・イーノ」と評し、アーティストを次の段階へ引き上げる規格外のスタジオワーカーだとする。“the Brian Eno of electronic dance music”
- 本人の言葉Ewan Pearson — 自分のサウンドを定義するなら「くまなく、カササギ的な気分」と言い、キックだけの禁欲的なダンスミュージックより、メロディーと過剰さのあるマキシマリズムを好むと語る。“I'm kind of curious and magpie-minded”
- シーンEwan Pearson — 90年代ハウスのリバイバル熱には少々うんざりしていると語り、自分は「その一回目にその場にいた」世代だと言う。90年代半ばには自身もデトロイトへのオマージュをやっていたと振り返る。“I was there the first time”
- 使われた場Ewan Pearson — ベルリンには「似たようなことをしている人たちのいいコミュニティがある」と述べ、それが仕事にも役立っていると語る。“a nice community of people doing similar things”
台帳の辺 29 件
| Pages - Ewan Pearson Remix(外部掲載候補) | remixed_by | 文脈として | |
| Manila (Ewan Pearson Mix) — Seelenluft | remixed_by | 直接の根拠あり | |
| The Golden Path (Ewan Pearson Extended Vocal) | remixed_by | 直接の根拠あり | |
| has_property | 1996年からレコード制作。Birminghamのインディー・レーベルBostingにVilla America名義(「Motorcade」)とDirtbox名義(「The Reason」)で2作を発表した後、Somaで最初のMaas EPを出した。 | 直接の根拠あり | |
| uses_name | マース | 直接の根拠あり | |
| uses_name | ワールド・オブ・アップルズ | 直接の根拠あり | |
| has_property | 1997年に博士課程へ(未完)。同年East London大学でポピュラー音楽の非常勤講師を一学期務めた。ジェレミー・ギルバートとの共著『Discographies』(Routledge、1999年7月)を執筆。 | 直接の根拠あり | |
| has_property | 『Small Change』(Soma、2001年2月)はMaas名義/World of Apples名義のリミックス仕事をまとめた11曲入りCD。本人はこれを「自分の名前で発表した最初のリミックス集」と振り返る。 | 直接の根拠あり | |
| active_in | キダーミンスター | 直接の根拠あり | |
| active_in | ロンドン | 直接の根拠あり | |
| has_property | フォールアウト・シェルター(ロンドン) | 直接の根拠あり | |
| active_in | ベルリン | 文脈として | |
| has_property | 仕事のための移住ではなく「生活を変えたかった」ため。以前からキャリアは軌道に乗っていたと明言。 | 文脈として | |
| has_property | ベルリンでプロデューサー/DJのSasse、DJ Naughtyとスタジオスペースを共有していた。 | 文脈として | |
| has_property | ヴァーターゲイト | 直接の根拠あり | |
| member_of | パーシャル・アーツ | 直接の根拠あり | |
| has_property | トレイシー・ソーン | 直接の根拠あり | |
| has_property | ザ・ラプチャー | 直接の根拠あり | |
| has_property | エムハチサン | 文脈として | |
| has_property | デルフィック | 文脈として | |
| has_property | ジャグワー・マー | 直接の根拠あり | |
| has_property | フットプリンツ | 直接の根拠あり | |
| member_of | ソーマ・レコーディングス | 直接の根拠あり | |
| has_property | Kompakt | 直接の根拠あり | |
| has_property | ミゼリコルド | 文脈として | |
| has_property | マシニスツ | 直接の根拠あり | |
| Manila (Ewan Pearson Mix) — Seelenluft | remixed_by | 直接の根拠あり | |
| The Golden Path (Ewan Pearson Extended Vocal) | remixed_by | 直接の根拠あり | |
| has_property | Kaltehand | 直接の根拠あり |